プルエバ・ビリャフランカーオルディジアコ・クラシカ レースレポート
毎年7月25日にバスクのオルディジア(これは、現地のバスク語での村の名前。いわゆる「スペイン語」と呼ばれるカスティリャ―ノでは、「ビリャフランカ」という名前になります)で開催される、夏のバスクの名物レース、プルエバ・ビリャフランカーオルディジアコ・クラシカ。
1周35㎞のコースを5周する、周回コースです。
しかし、さすがにバスクでのレースだけあって、楽なはずがありません。なにしろ、プロフィールマップがこの通り。
上りの最大の難所は最大斜度15%。加えて、意外と道は狭いし、下りもカーブが多くて、テクニカルな道が続きます。
今年のこのレースには13チームが出走。
そして、このレースを仕切るであろうとみられていたのは、Mitchelton-ScottとMovistar Team。Mitchelton-Scottは2年前のこのレースの優勝者であるサイモン・イエテスをエースに指名。
一方のMovistarは、今年のジロとツール・ド・スイスで名アシストを見せた、ビクトル・デ・ラ・パルテ選手をエースに選択します。
ちなみにデ・ラ・パルテ選手はここバスク出身。
実は、毎年この日はオルディジアの夏まつりの日。
朝9時に出走サイン台に選手が現れますが、その時にはすでに観客は元気いっぱいです。
そんなサイン台に一番最初に現れたのはInteja。
大ベテランのパコ・マンセボも、観客の応援に大喜びです。
今回のレースは日本からチーム右京が出走していました。
チーム右京も今年でこのレース3回目の出走なので、観客の方も応援は慣れたもの。
スタート直前、Mitchelton-Scottにちょっとしたトラブル発覚。カルロス・ベローナの車輪がパンクします。
それを見ていた、某チームの監督と私の会話。
筆者「でも、よかったじゃん。パンクしたのがスタート前で」
某チーム監督「いやぁ、できればスタート後にパンクしてほしかったなぁ。」
・・・監督、思わず本音か。
朝10時、レースはスタート。
レース展開は、1周目で5人の逃げが決まり、その後、20人ほどの後続集団が続きます。
この2つ目の逃げ集団にMitchelton-Scottがサイモン選手を送りこんでいました。
また、全部で25人ほどの選手が逃げていたので、各チームから1人か2人は逃げ集団に送りこんでいたため、大部分の選手を抱えた第3集団をコントロールして逃げ集団との差をつめようとするチームが出てきません。
かろうじて、第3集団を引いていたのは、カハルラル・RGA。
そうこうしているうちに、第3集団と第1逃げ集団との差は2分差にまで開きます。
結局、この2分差はゴールまで縮まることはありませんでした。
最後の3kmで、Mitchelton-Scottのサイモン選手とロバート・パワー選手が飛び出し、そのままゴールまで独走します。
そして、ゴールはパワー選手が少しだけ先着。
Mitchelton-Scottのワンツー・フィニッシュでした。
そして、第3位で表彰台に上ったのは、イスラエル・サイクリング・アカデミーのクリス・ネイランズ選手。
第2集団のスプリント争いを制しました。
ちなみに、パワー選手、優勝したのが本当にうれしかったのでしょうね、表彰台でこんなシーンも見られました。
ちなみに、MOVISTARチームは逃げ集団に選手を送りこんだものの、これと言った動きができないままレースを終わりました。
エースナンバーを付けていたデ・ラ・パルテ選手は、ゴールした途端に苦笑い。
表彰式でのTOP3はこの通り。